
【八ヶ岳・オーレン小屋】登山道整備をしていのはオーレン小屋のご主人だった話
諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です
どの山に登っても、道があり、その道は登山道と呼ばれます。そして登山道には、その道を切り開いた人物の名前がついていることがあります。
例えば、八ヶ岳の赤岳へ向かう尾根には「文三郎尾根」という名前のコースがあります。
これは、茅野文三郎という人物がハイマツなどを切り開き、この道を作ったことから、その名がつけられたのです。
目次
登山道の整備は誰がやっているのか?
登山道の大半が整備されていることには、毎回感心させられます。
険しい場所には階段状に木杭が打たれ、岩場には目印となるスプレーで描かれた矢印があります。
さらに、鎖やロープが設置されていたり、水が溜まっているような場所や泥状の道には木板が並べられていたりします。
こうした整備は、主にその山で山小屋を営む方々が行っています。
過去には、整備に使う予定の資材を見かけたこともありますし、「ポッカ」と呼ばれる荷上げをする小屋の方が、石を脇に移動させながら荷物を運んでいる姿を目にしたこともあります。
登山道を整備されている方はすぐに見分けがつきます
今回、硫黄岳の帰りに登山道を整備されている方にお会いしました。
整備をされている方は、登山靴ではなく長靴を履いているので、すぐに見分けがつきます。
登山道を安全に保つための整備には、毎回頭が上がらないほど心から感謝しています。
作業されている横を通る際に、「ありがとうございます」と声をかけ下山路へ。
途中、私は休憩を挟みながら下山していましたが、背後から熊鈴の音が徐々に大きく聞こえてきました。
先ほど登山道を整備されていた山小屋の方が、かなりのスピードで下ってこられたのです。
再び整備への感謝を伝え、整備の内容や頻度について会話をしながら、山小屋まで一緒に下山することになりました。
この時、私は疲労がかなり蓄積しており、足にも負担を感じていたため、下山のペースをリードしていただけたことでとても助かりました。
オーレン小屋に到着
山小屋オーレン小屋です
小屋に着くと、「休んでいって」と声をかけられ、小屋の方が腰掛けた横に、私も座らせてもらいました。
オーレン小屋4代目ご主人でした
先日、オーレン小屋や硫黄岳のことが、NHKニュースワールド-Japanで配信されていた話をすると、小屋の方はとても驚いていました。
「よく知っていましたね」と言われたので、取材の際にこのオーレン小屋が宿泊場所として利用されていたことをお話ししました。そんな撮影の背景について話しているうちに、この方がオーレン小屋の4代目ご主人だということが分かりました。
コロナ禍で小屋が経営危機に陥ったこと、インバウンドの需要がアジア系の方々から最近では欧米の方々に変わり、毎日のように外国の方が訪れていること、そして八ヶ岳の魅力が世界に広がりつつあることなど、話題が尽きず、会話は大いに盛り上がりました。
オーレン小屋のご主人もエルハウスを知っていた!
そこから、「私はどこに帰るのか?」という話になり、「地元ですよ」と答えると、
「地元の方が山に登るのは珍しいし、嬉しいことだ」と言われました。
さらに、「職業は?」という質問に「茅野にあるエルハウスです」と答えると、
「えーっ、すごい驚き!」と返ってきました。
「私、知っていますよ、エルハウスさん。茅野市内でよく建築現場を見かけます。
すごいと思っていました。地元の工務店でたくさん家を建てられていますよね。
そこの方だったんですね!」
そして、「エルハウスの方が山に登られているなんて、それがまたいいですね」と言われ、
今度は逆に感謝されているような気持ちになりました。
八ヶ岳から茅野の魅力を全国の人に伝えたい
「インバウンド効果もあり、茅野市の観光は大成功ではないでしょうか」という話題から始まり、私が山に登るきっかけの話になりました。
「何といっても、八ヶ岳から茅野の魅力を全国、県外の人に伝えたいから登っています」と伝えると、
オーレン小屋のご主人、小平さんも「もっと地元の人に登ってきてほしい」とおっしゃっていました。
毎回思うのですが、確かに山登りは大変で、体力も必要です。
でも、八ヶ岳というエリアに一歩踏み入れれば、必ずその魅力に心を奪われるはずです。
まして地元に住んでいるなら、もっと地元のことを知り、外部に発信するべきだと思います。
それこそが、将来の地元への大きな貢献につながるはずです。