
【ワークラボ八ヶ岳主催】写真家・山内悠さんの講演を聞きに行った結果
諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です
写真は狙って撮ってはいない 撮らせている。
ワークラボ八ヶ岳さんのイベントに参加しました
写真家・山内悠さんの講演を聞いてきました。
このイベントは、茅野市のコワーキングスペース「ワークラボ八ヶ岳」さんが主催されています。
知らなかったのですが、meet up lab「思いを形に、事業に役立つヒント」をテーマに、定期的に講演者を招いて開催されているそうです。
なぜ写真家・山内悠さんの講演を聞きに行ったのか
今回は「写真家」という肩書きに興味を惹かれ、講演を聞きに行きました。
ただ、写真の撮り方や映像、構図の極意といった内容を期待して行ったわけではありません。
私が惹かれたのは、山内さんの経歴です。
富士山での小屋番、西表島での生活、屋久島での孤独な籠もり、さらにはモンゴル全土を巡るといった、彼の多彩な経験に興味を抱いたのです。
山内さんの体験談をたくさん聞くことができましたが、その経験から写真を撮るという彼のスタイルに深く感銘を受けました。
写真家の半数は自分で写真を撮ろうとはしていない。写真を『撮らせている』んだ
中でも一番印象に残っているのは、「写真家の半数は、自分で写真を撮ろうとはしていない。写真を『撮らせている』んだ」という言葉です。
写真というのは、フィルムから現像されて写し出されたものが、必ずしも自分の狙った構図や様子にはならないもの。
その予測できない部分が面白いのだと語られていました。写し出された写真は、ある意味で「与えられて撮ったもの」に過ぎないという考え方に、とても興味を惹かれました。
流れに身を任せるというのはどういうことなのか
過去から現在までに起きた出来事は、すべてを自分でコントロールしてきたわけではありません。
かといって、それらが単なる偶然というわけでもありません。
出来事には、それを引き起こすきっかけがあり、その流れの中で今があるのだと山内さんは語ります。
そのため、写真も自分の意志で決めて撮ったものではなく、流れの中から「撮らされている」ものなのだと。
そして、まさにその流れがあったからこそ、こういった写真が撮れているのだと感じたそうです。
誰でも人生の中で、岐路という節目を経験したことがあるはずです。
その時、右を選べばまた違った人生に、左を選べばまた別の人生に進んでいたかもしれません。
振り返ってみると、そういった岐路が何度も何度もあったことに気づきます。
そのたびに、自分で選択してきたと思っているかもしれませんが、実はそうなるように「選ばされている」のだと思います。
流れに身を任せるというのは、まさにそういうことなのではないでしょうか。