【茅野市】登山初心者にも挑戦しやすい「上原城址跡」に行ってみた|実際に歩いたルートや見どころ
諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です
地元の里山 おすすめの場所
目次
茅野市でおすすめの山「永明寺山」!
茅野市には八ヶ岳という象徴的な山がありますが、実は標高は低いものの魅力的な山が多数あります。その中のひとつが「永明寺山」。実はエルハウスから一番近い山なんです。
登山道の入り口までは車で約10分。とはいえ、この永明寺山、なんと山頂まで車で行くことができるため、歩いて登る人はかなり少ないのが特徴です。
永明寺山に歩いて登る人はかなり少ない理由とは
永明寺山の山頂には「永明寺公園」があり、ここにはBBQ施設や滑り台、アスレチックなどが揃っています。家族で楽しむにはぴったりの場所です。そのため、公園利用を目的に車で山頂まで行く方がほとんど。わざわざ歩いて行こうとする人はあまりいないんですよね。
でも、もし余裕があるなら、歩いて登るのもおすすめです。道中の景色や自然を楽しみながら、のんびりと山頂を目指してみてはいかがでしょうか?
歩いて行くのは変わり者 笑
登山初心者にも挑戦しやすい、永明寺山に登ってきました!
永明寺山に登ってきました。標高差380m、往復3時間、全長5.3kmのコースです。永明寺山と言えば、山としてよりも「上原城址がある山」としての方が有名かもしれません。
上原城址は、戦国武将・諏訪頼重の居城跡として知られています。諏訪頼重と言えば、武田信玄公に滅ぼされたことで有名ですよね。歴史好きの方には特に興味深いスポットです。
永明寺山の登山道を進むと、歴史の舞台を感じられる上原城址にたどり着きます。眺望も素晴らしく、地元の歴史に触れながら自然を満喫できる貴重な山です。登山初心者にも挑戦しやすいコースなので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
永明寺山の登山は、頼重公の館跡と記された石碑からスタートします。そこから鳥居をくぐり抜けると、普通の森林を進む山道が現れます。
最初の登りはなかなかの傾斜で、すぐに汗が吹き出してきます。標高はそれほど高くない里山なので、気温もそれなりに高く、直線的な登りが続くことで体力を奪われる感じがします。
里山特有の静けさと、自然の中で心地よい疲れを感じながら進む登山道。歴史と自然が融合したこの山は、登るごとに新たな発見がある、魅力的なスポットです。
上原城址の三の郭に到着
登り始めて約30分ほどで、上原城址の三の郭に到着します。ここには金毘羅神社があり、静かな境内が迎えてくれます。
境内を歩いていると、小さな湧き水を発見。しかし、その水は少し濁っているようで、あまり「綺麗な湧き水」という印象はありませんでした。
それでも、神社の佇まいと歴史の趣を感じながら、ひと息つけるポイントです。山の途中でこうした歴史的な場所に触れられるのは、永明寺山ならではの楽しみですね。
二の郭に到着。木々に囲まれていて何も見えない!
金毘羅神社の裏手からさらに上がると、次は二の郭に到着します。ここにはひときわ目を引く大きな石が鎮座しており、これが有名な物見石と呼ばれるものです。
この物見石、戦国時代には武将たちがこの上から景色を眺め、戦略を練っていたと言われています。左手には山梨方面(武田軍の領地)、足元には茅野(上原城下)、正面には諏訪大社、そして右手には諏訪湖が一望できたのではないか…そんな歴史のロマンを感じつつ、石の上に登ってみました。
が、残念ながら現在は「木々に囲まれていて何も見えない!」笑
むしろ、ここまで登ってきた道中の方がよほど眺めが良かったように思います。少し期待外れではありますが、それもまた山登りの一興。次は山頂を目指してもうひと頑張りです!
当時は見通しは抜群だったのかな。。
当時は、もちろん現在のように木々が生い茂ってはいなかったはずで、見通しは抜群だったのでしょう。物見石の上からは、茅野や諏訪湖、そして遠く山梨県方面まで広がる景色が一望できたのかもしれません。
武田信玄といえば、その戦略の巧みさで知られていますが、中でも興味深いのは、狼煙(のろし)を使った伝達手段です。拠点ごとに煙を上げて合図を送り、長野県南部から山梨県甲府まで情報を繋げていたというのですから、驚きです。
現代では通信技術が発達して、このような方法は必要なくなりましたが、戦国時代の「狼煙」はまさにリアルタイムの情報伝達ツールだったのではないでしょうか。そんな背景を思い浮かべながら、この地に立つと、歴史の深みが一層感じられます。
当時、物見石の上からは、きっとこんな風景が広がっていたのではないでしょうか。
二の郭のすぐ裏手にある主郭は、ただの広場だった
二の郭のすぐ裏手にある主郭。現代の風景としては、そこはただの広場です。
「何かあるのかな?」と期待しても、今は何も残されていません。信玄公に攻められ、ここが燃やされたという歴史が伝わっているものの、上原城は天守閣のような立派な建造物を持つ城ではなく、「館」があっただけだと聞いています。
でも、何もないというのが、実はこの場所の魅力かもしれません。
訪れた人々が当時の風景や情景を自由に想像できる余白を与えてくれる、そんな「空間」があるのがいいですよね。武将たちの思惑や暮らし、戦いの場面――それらをそれぞれの思いで描くことができるからこそ、歴史をより身近に感じることができるのかもしれません。
静かな広場に立ち、風を感じながら、当時の賑わいや緊張感を心の中で再現する……そんな楽しみ方もできる場所です。
主郭の背後には「空堀」という特徴的な地形が存在します。これが人工的に掘られたものなのか、自然の地形を巧みに利用したものなのかは分かりませんが、空堀の存在は確かに確認できます。
急斜面の上に位置する主郭。この地形が示すのは、ここが単なる居住地ではなく、戦を想定した防衛拠点だったということです。敵の侵入を防ぐための構造として、急勾配の地形と空堀の組み合わせが選ばれたのだと考えられます。
「城址」という言葉がぴったりと当てはまる場所。今は静かな広場ですが、かつてここに築かれた戦略や防衛の工夫が見て取れ、戦国時代の空気感がわずかに残っているように感じます。
ほとんどの場所で、基礎工事の際に遺跡調査の立ち会いが必要になる
そういえば、この城下にあたる茅野市上原地区で、私たちも家の建築を手掛けています。興味深いのは、ほとんどの場所で基礎工事の際に遺跡調査の立ち会いが必要になることです。遺跡といっても、いわゆる土器や古い道具がゴロゴロ出てくるわけではありませんが、地層から堀跡の痕跡を見つけるなど、専門家が細かく調査を行っています。
実際、建築現場で「これが堀跡の痕跡ではないか」と思われる発見があり、歴史の息吹を感じる瞬間がありました。普段の作業では味わえないような特別な経験です。
さて、少し話が長くなってしまいましたが、この続き、永明寺山の後半のブログは次回にお届けしたいと思います。お楽しみに!